立春の候、明けましておめでとうございます。

 日本は元々旧暦(太陰太陽暦)を採用しており、節季や節句をはじめ、あいさつ文に使われる語句も旧暦の月日に由来する。暦の算出には天文学や自然科学を基とした陰陽師が携わっており、陰陽師とは東洋式科学者だ。陰陽師というと一般的には呪術を連想するが、陰陽寮の公的陰陽師と民間陰陽師(呪術師)がいた。占う・呪うは同じまじなう(magic)という言葉であり、呪術の意図が異なるだけである。


社会的人間の相互関係

 自ら心を腐らせることなく情動や情操をもつ者、自律をもつ者は美しい。そういう類の人たちの存在によって、発言や交友、社会奉仕など具体化されたモノゴトは周囲の人々の感性や理性を通して魂に訴えかける。仮に社会的正義や真実からかけ離れた行いであろうとも、心が腐敗していく者たちを支えるという意味合い、仁の道において正しく評価されなければならない。衣服供給者無くして寒暖凌げず、食料供給者無しに飢えは凌げず、家を建てる職人無しに安眠は成立しない。縁を通して社会や世界は形成され、還元されるという循環の本に人間は人間として存在しうる。
 私はあらゆる人間に対して業種でいうところの弁護士的見方を懐いており、太極的な性善説を信奉している。サイコパス的精神異常者や重犯罪者を異常者たらしめる要因として、その者自身の責任のみならず取り巻く環境、過去の経験などによって精神負荷という異常値が加算されていくことであり、狂気に侵されることはそれら異常性が閾値を超えた結果に過ぎず、閾値超過の連続によって自殺や犯罪の誘発率が増加するのであって、社会に問題がないとはいえない。ただ個人において、精神の腐敗という根腐れを断つためには和の精神・修身・哲学・教養あたりが必要だとみている。その後に自由と自由意志の価値がわかる。

自由や自由意志という言葉には、自由主義や民主主義といった土壌が必要となる。銀英伝が大変参考になる。

銀英伝から学ぶ政治の話【解説・銀河英雄伝説②】 前回は銀英伝の基礎知識について解説した。今回は銀英伝のメインテーマである「独裁政治vs民主政治」について。独裁政治と民主政 www.hihukai.net

法の理念

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国憲法 前文1節

 日本国憲法前文の一節にあるとおり、政治家は国民に選ばれた代表であって、政治による福利は国民に帰される。政治家の腐敗と政治の腐敗は全く別物で、政治の腐敗とは国民が政治に疑義関心を抱かないことに由来する。政治とまで謂わずとも社会や組織への疑義や不信があり和解できぬのであれば、地方自治体や省庁を通して法に訴えかけなければならない。政治家への投票だけが政治への参画だけではなく、自由民主主義の現代に生きる日本人として、各個人が政治家であり研究家である自覚が必要だ。そこまで実行する気がないのであれば、実際に政治家の公演会や研究者の各種学会に参加して、彼らはどのような人たちから信任され、何をしようとしているかを学ぶといい。法律はすべて憲法の下に存在し、憲法はあらゆる力ある者を制約し、力ある者から弱者を保護する。

 
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

日本国憲法 前文2節

  世界を構成しているのは国家であり、社会であり、人々である。ただそれらを構成しうる人間の母数が大小異なるだけのことであり、その内の子数が有力者としての責任、つまり持てる者の義務を任されている。国家や法人も警官や監督と同様に一権限を貸与されているに過ぎず、最高法規たる憲法の主権は国民である私たち一人一人の意志や行いに由る。他者や多様性の尊重といったものは等しく己に帰するもので、尊重しないということも己に帰る。つまり他者の社会的、心理的存在は鏡である。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法 前文3節

 主権を維持し対等関係に立つということは日本国内で生存する限り、人間関係や労使関係など憲法の下にすべて等しく、企業の窓口たる人事採用官や送り出す教職者、親、自らも理解しなければならない。相性のあう・あわない人間であっても他者が鏡である以上、無視や争い、偏見の目、困っている者を助けないといった情けない者は、その対象の数や深さに応じて人に情けをかけてもらえない。

情操に問う

 人間は基本的に自然と同様、水を与えすぎると根腐れし、人工的な環境の下では育ちに支障をきたし、育っていこうと指向する先に障害物があれば避けたり突き破ったりする。
 社会における人間の最小単位が2人で、その最大は国家を超えて世界である。最小単位2人のうち1人が弱ったときにもう1人が支えることによって最小単位は生存することができる。最小単位の2人と別の2人に争いが生じる場合、どちらの社会にとっても世界は2分化される。単純に2人とだけ対立すると考えるのは短絡的で、どちらにも家庭や友人、組織や社会をもっている。仮にそれら間接他者と対立しなくとも、直接的他者たる相手2人と同様の感性や理性を持つ者がいる。この説明には心理学的な面から、MBTIや16タイプパーソナリティを認知しているものは直観でお解りいただけるだろう。

 対等関係というと、利己と利己の利害関係でも成立すると思う方がいるかもしれないが、それは甘い。利己の果ては(自身を強者とした)弱肉強食、適者生存を築き上げることに他ならず、優性・選民思想と同義だ。自然界でも強者たる肉食獣は生存するための必要以上を求めない。過去に弱者であった自制の効かぬ人間だけが欲の向くままに強者となり、必要以上に欲を求めた故自然が無駄に犠牲となる。それはつまり、育ててくれた親や世界が老いたときにそれらを排斥することで、彼らが遺してくれたこの文化や生活環境といった揺り籠を自らの手で破壊することだ。対自然においても同様。
 

持続可能な開発目標(SDGs、サステナビリティ、多様性)の理念はここに集約されるのではないか。

参考になるもの
坂野真理 2007 法の理念と国民の価値観 -日本の優生史をたどる- | 松下政経塾 (mskj.or.jp)

日本弁護士連合会 2005 日本弁護士連合会:立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言 (nichibenren.or.jp)

法学館憲法研究所 日本国憲法の逐条解説|憲法研究所 (jicl.jp)

小谷野敬一郎 国家 目次 (k-keiichiro.jp)