聖書にいつてある。「人、全世界を得るとも、若し魂を失はば何の益かあらむ。」と。 一語人をして惕然(てきぜん)たらしめる。
山田愛劍 著 『金科玉條 修養之基礎』 大正五年
げに、魂を粗末にし、心の問題、修養問題を閉却すること、今の人の如きはないであらう。彼等の日夕役々たる所以は、たゞ一に利慾のためである。然もこの「一心」の問題に至っては、彼等は矒然(ぼうぜん)として暗昧無智である。
こゝに於てか、富む者はある、成功者はある。が、所謂富者、所謂成功者は、内心倥侗無一物、蛙を距ることたゞ一歩に過ぎない。閔(あわれ)むべきではないか。
※()内は音読できるように付加した
一 大項目
1 労務について
先日、雇用管理研修に出席した。
講師は社労士と元厚労省、元労基職員
彼らの話と資料を踏まえ、私見を述べる。
- 一人工の労務単価は8時間(8:00-17:00)で計算される
- 週40時間が上限となる
- 超過は別途時間外労働となる
つまり、週6日48時間の場合は土曜日の8時間が丸々時間外労働となる。
たとえば、法定休日を除く月曜日~土曜日各日に10時間働く場合は、1週間で20時間の時間外労働となる。時間外労働の月上限45時間、年上限360時間が今年度から適用されていることに留意せねばならない。
なので一人工の設計業務段階において、労務単価や諸経費算出の次に工期設定からはじまる。工期を短く見積もってしまうと時間外労働が増加し、健康面、ひいては業務災害に通ずることになりかねない。
例えば、レッカー業者がわかりやすいが、レッカーは作業をするための車である。作業車ないし特殊運転手の現場稼働が8:00-15:00とすると、昼休憩を除き6時間稼働となる。しかし労働者の直行直帰と異なり、作業車の直行直帰、つまり移動時間は労働時間に含まれる。行きと帰りで各一時間かかるとすると、それで8時間労働となる。この額面算出は設計業務において、積算資料を基に組み立てる。このことから特殊運転手の移動時間と労務費と諸経費は固定されており、作業時のガソリン消費に関わる金額が前後するものである。
2 病理
どの業界も超えて当たり前のことを記すが、午前や午後の休憩時間の必要性については短時間労働者や軽作業員ならまだしも、疲労により労災に発展するリスクが極めて高いことや作業効率の悪化を招くことから必要性が高いことは論ずるまでもない。独立した電気駆動の道具でさえも内在電気の減少によりエネルギーが減衰するのだから、複雑な生命体であり自ら然る人間存在は特にそうである。
ここで危険有害要因について述べる必要が発生する。その諸要因の根底は足元がどうだとか、手元がどうだとか身の外にあるではなく、先ずはじめに身の内である。
身の内とは如何なるものかというと、WHOの健康の定義にある「physical, mental and social dimensions in dealing with the health of communities. 」つまり人の肉体の健康・人の霊魂の健康・人間であるから社会次元の健康=平たく言えば会社と私間の健康・この三点を以てはじめて地域社会の健康となる。
地域社会を構成する直接的構成員は、住む人・通う人・働く人・来訪者・家庭・会社・自治会・学校・病院・市区町村といった地方公共団体・などであり、またそれらを内包する都道府県の地方公共団体・国家なども同義である。これを明確に定義しようとすると関連度合という、不確かなものにたいして確率を数値化することとなる。
3 地域社会の健康
どのような構成か。
- 日本人は昔から”理”だけでなく雰囲気などの”気”を大事にしている。カタカナ英語でいえばフィーリング、つまり気の感性とでもいおうか。
- 空間においては、都市構造・建物自体またその内外・人自体また人体の内外である。
- 時間においては、干支・六曜・祭事である。
つまり”気”を重要視していることから、空間時間における計画段階において鬼門や風水を気遣う。
”気”が地域社会の健康と如何様に相関しているかというと、気の通りがわるいところ、換言すれば空気ないし水の流れが悪いところは淀みや腐敗が生じやすい。人は空気も水気も必要な生命体である。病人や浮浪者や犯罪者などこころの衰弱した異常の生起はその原理である。
例示してみよう。
異常は初めから存在するものでない。人は初めから異常な存在でない。よって初めから人は異常な存在でない。
ゴミ屋敷は初めからあるものでない。そこに住まう人は初めから異常な者でない。よってゴミ屋敷と住まう人に因果は存在しない。
ではなぜか。
- 物質面
ゴミ屋敷は空気が悪い。臭いにおいては、通気性がよいのであれば好気性細菌のように臭いは生じにくく、通気性が悪ければ嫌気性細菌のように強烈な臭いが生じる。 - 情緒面
人は物質のみで構成されておらず、こころがある。情緒がある。仮にゴミ屋敷内で食事をすると、ゴミを五感で感じながら一緒に摂り込み食べることになる。そのご飯はおいしいだろうか。感情は生きているだろうか。 - 精神面
こころが上述のように衰弱することから、精神と肉体においても乖離が生じ夢想の状態となる。人においては、心ここに在らず・虚ろ・離人的・自暴自棄・過度な欲求・生への意志薄弱・自我衰弱・これらによって人の総体座標は霊我へ移動を余儀なくされる。つまり和魂と洋才が分離したように、人の精神が実在と仮面とに分離したように、全身と全霊が分離する。その間にあるこころは薄く伸び広がる。
さて、ゴミ屋敷はその三面において、陰、即ち場所空間としての存在が強烈である。その空間はさることながら、住まう者も同じである。またそれらに接するものはどのように感じ、どのように思うだろうか。
物理空間に内在される時間としては、生命を宿さないものは負荷がかかれば形状は元に戻り難い。また、生命を宿すものは健忘症に類される病でない限り、過去からいま現在ないし未来へと持続する。好き嫌いや愛情や幸福を祈ることも同義である。
- 転職してゆくと職種ごとに人格、つまりペルソナや意識が新たに形成される。転職による心機一転とはこれを指す。
- 転居してゆくと家屋ごとに日常や連続記憶による愛着や意識が形成される。書斎や事務所、作業場を分けることはこの道理である。
この二点を踏まえると、意識が人のうちに内在されるものでありながらも、建物といった場の空間や事物にすら内在され、持続する意識がその空間において喚起されることがわかる。
意識が内在された空間は外からでも観測可能である。辛いものを摂ると火の性質であるから、その熱により外へ熱気を発したり汗といった水気を発する。これはまた、人の印象や醸し出す空気感であったり、業界の印象や醸し出す空気感と道理である。
それらを知覚できないとは縁の不在、換言すれば目や意識という光を、それに照射していないことから陰に隠されているに過ぎない。
つまり
これらを総括すると地域社会の健康とは、その地域にある人・事物・組織という実在実体無き概念体・空間・空間時間に内在されるこころや精神・気であることがわかる。
3
現場は生き物であるから不測の事態が多く、予測できない天候や傷病などにより人手が足りなくなることもある。人手の応援が必要となると、請負である一人親方同士の応援は請負契約がなされた独立した指揮系統でなければならない。また労働者派遣は建設業においては違法となるので注意されたい。
建設業が週6で固定化された背景には、天候に左右される肉体仕事であるからだ。道具に換言すれば、パソコンが水を浴びたり、空間温度とパソコン自体の温度の相関により、熱すると勝手に強制終了することであり、道具でない人は言わずもがなである。他業のように商品が動くものと正反対で、人が動いて受注生産品を完成させる。なので工期を少し緩くして、作業者が柔軟な対応をできるようにしていた。
たしか国交省あたりの公文書だったと記憶しているが、職種によっては複数人での連携作業の必要性から、請負である一人親方と労働者の明確な線引きが検討されている。
二 小項目
1
であるので、法整備がろくに進んでいないところは事務方や経営管理責任者を適所に配置して、昭和体制から令和体制に方針を切り替えていただきたい。
現場応援をしたり、経営計画を練ったり、積算をしたり、労務の見直しをしたり、人材確保に向けて計画したり、ホームページの構成を練ったりと中小企業は仕事が山ほどある。ヨソ者や経営者がそれを仕事だと認識するかはまた別の話である。
パソコンを使える従業員がいれば役割分担ができるので、アレコレ忙殺されず一つ一つに専念できるので楽になる。これらは社内に前例がないことであるから、まったく非定型業務である。
なので大手企業ではなくふつうの中小企業であれば、肉体は老いるのだから、限られた人的資本を活かすために即断即決をしていかなければならない。
2
そしてここでよく経営者の方々はお金が無いとおっしゃる。私は最低賃金程度なので殊更お金はない。労務賃金や税金や労働者のための法定福利費を払うために、必ず支出することがわかっているお金を貯蓄することは言わずもがな、収入利益の内に経費を区分けし確保しなければならない。会社員と経営者の明確な違いはここだ。会社員であればそれらいっさいを考える必要はなく、家内に怒られるだろうが労務賃金すべてを生活に投じてもよい。経営者であるならば、生活費を削り経費に充てるか、経費を削り生活費に充てるかのどちらかである。
資本主義社会において資本とは順に、人・もの・金である。つまりお金はエネルギーの一つであるといえる。エネルギーが多大であれば節制はいかようにもできるが、エネルギーが小であれば節制に限りがある。
経営者にとって経費を確保するためには仕分けと節制が基本である。稼ぐためには現場に出るのが基本だが、奥さんや事務方に経営面の節制、つまり経営合理化を任せることも基本だ。そのためには組織の頭脳である経営者自ら、明日を描く前向きな意志がなければ人を登用することも任用することもできない。
勤労学生でも貯金できる人はいるのだから、いかに心身の負荷を必要以上かけずに散財しないかという日頃の行い、節制である。
また専従者である親子夫婦であっても労働者と同等以上の内容であれば、ただの専従者だから給与や労働時間、福利厚生はてきとうで無茶させてもいいという人外の扱いは人でなしである。
私は結構てきとうに扱われているので、少なくとも給与分は働くようにしている。限られた経費のなかで一人頑張ったところで次々に非定型業務のなすべきことが現れるが、その状況下で右に左に扱われると、何をどこまでどのように計画して今進めているところか、予定などがいっさい吹き飛ぶ。間髪入れた断続業務となると、意識の復旧に時間がかかる。これがわからぬと言うのであれば、ぜひとも変わっていただきたい。他責でなくいっさいを自らに帰す自省自助といった内在秩序の維持、自らを研ぎ澄ますことはたいへん疲弊するので閾値を上回ると暴発する。
例えば、積算業務をしている者に「明日現場の人手が足りないから応援に出てくれ」とか、防水屋を電気屋の応援に行かせるようなもので、業務が180°違うものをすると必ず支障が生じる。それは工事のミスに繋がったり心身への負荷であったり多岐にわたる。
求人票のように労使契約書をつくるとわかるが、どの職務内容をどの時間でどの金額で、福利厚生はこれだと提示する。それで労働者が受理すれば契約成立となる。また内容から逸れる場合は雇用管理責任者などの労務ないし人事担当者に相談するか、乖離があまりにも酷く自浄作用が認められない場合は上へ、さらにその上といった具合で極地では労働基準監督署に相談する。相談しても組織の自浄作用がはたらかないのであれば、自ら内在するエネルギーの浪費である争いは避け、辞職すればいい。これが労働契約原則であり働くことの基本となる前提条件である。
請負原則は労働の基準である労働基準法が先ずある。
3
こう考えてみると、職人といった専門家を統べる包括者の不在がおきていることがわかる。現場のプロは経営のプロでない。経営のプロではないから非定型業務事務方や諸経費の必要性がわからない。なので合理化するために各所に人を迎え入れプロを養成する。
家族に換言すれば、男児がある道において功を収め家を代表する大人、つまり大黒柱となる。しかし男性だけでは冒険心に過ぎ散財的で繊細さに欠けるから、家の内政を任せることができる伴侶を家に迎える。両者の間に子宝が恵まれる。子が育つとまた同じことが繰り返される。そこには威光の和らいだ祖父や祖母がある。
先代先々代が立派であるほど、または先祖に価値を見出すほど、家名や血族といった縁起が大事であることがわかる。それを表したものが家系図や家訓である。またそれらの大なるものが国という家、国家という存在である。誰しも、子にとって親という存在は立派なものにみえたことが一度ならずともあるのではないか。
ぜひとも価値のいっさいない虚栄虚飾なプライドは捨てて、日本国家の日本人として自らの意志や信念、役割、自らによる自らのための存在理由に立ち返っていただきたい。右も左も、後も先も、負けも勝ちも同じである。
おすすめ(ウェブ上で通読可)
参考
Spiritual health, the fourth dimension: a public health perspective ,2013 (who.int)
メンタルヘルスとは|世界メンタルヘルスデーJAPAN2024特設サイト|厚生労働省 (mhlw.go.jp)
5700字程度
10/12~10/13 記