個々人における認知の相違
お題として「珈琲の美味しさ」を想起するとき、私たちは初めに何を思い浮かべるだろうか。一般的に誰しもが思い浮かべることは、主に味覚において酸味・苦味と濃度といったキレやまろやかさといった表現に集約されることだろう。それ以外に人によって、ベースは香りであったり、とろみといった質感、環境空間、友達と飲むときの自身の感情、奢ってもらう珈琲、仕事の休憩時といった限定的なものというふうに多様に分かれる。
私にとって「珈琲の美味しさ」とは、淹れたてから熱が冷めていくまでの”霧散していく珈琲豆独自の香り”にあり、口に含み味覚で味わうほど相対的に「珈琲の美味しさ」の主力たる香りの知覚が失われていく。1味覚を主軸とした「珈琲の美味しさ」であれば、大阪府八尾市にある喫茶店”ザ・ミュンヒ”の提供する創作珈琲が、味覚にのみ的を絞った個性あふれる唯一無二の珈琲である。
嗅覚に主軸を置く場合、店内が珈琲の香りのみ(もしくは通気性が抜群)であり、他の香りを認めないほどの環境条件であれば、コーヒー飲料が提供される前の豆を挽きはじめる段階から香りの美味しさを味わっていることになる。これらは”強いて言えば”という個別具体化された極端な例に過ぎず、実際のところは自身の知覚すべてを包括して美味しいと感じるもので、香り5点、味覚のコク5点、環境3点といったふうに個々人の意識・無意識下における相対的指標が存在している。この個々人がもつ相対的指標は、個人が珈琲に対して過去にどのような経験をして何を求めているかが異なるので、分かり合えたつもりでも決して100%という数字は出ないのである。
自他の座標
私たちは家族や友人、初対面の人などと話しをするとき、それぞれの関係性において話題に対する進入角度とその質量が異なっており、端的には話が合う・合わないの二つに分けられる。誰しも話が合うこと(理解されること)を前提もしくは期待して他者と接するが、理解度は双方の属している社会環境や生活習慣によってふり幅が大きく、そのときの体調や精神状態など無数の因子が絡み合っている。
ある事象(X)において、Aは主な情報源として新聞から得られた情報のみを活用するが、Bはインターネット情報からのみであった場合、情報媒介が異なっているため結果が異なる。
“A”という個人は老人(o)である
“B”という個人は若者(y)である
A+o→”Ao”
B+y→”By”
Aは職人(c)である
Bは学者(s)である
Ao+c→”Aoc”
By+s→”Bys”
Aは主にニュースペーパー(n)から情報を得ている
Bは主にインターネット(i)から情報を得ている
Aoc+n→”Aocn”
Bys+i→”Bysi”
”X”内に少し解りやすいように4面(A,B,C,D)を加えた。”X”に対して認識するものは一番上の”Aocn”と一番下の”Bysi”で全く別物で、侵入経路が真逆である。”X”を認識するにあたり、前者はX上面(A,B)の2面の境界線から試み、後者は下面のC,Dから試みている。また、”X”に達するまでの動線(過程)が16通りすべて個別なので、過程において正解・不正解は存在しない。
次に”Bysi”属性が同様の者が二人(“By1si”と”By2si”)いたとする。これにそれぞれの属性や選択している質量を加える。
“By1″+s5+i5=B1と定義する
“By2″+s5+i1=B2と定義する
”X”に対して”B1″と”B2″でインターネット情報を活用している質量が異なる。両者が”X”について話をするとき、質量差に大きく開きがあり、”B2″にとっては言語情報の質量過多であるため話が合わない。話を合わせるためにはお互いの中間地点”i3″~”i1″に合わせる必要がある。
中間地点である”i3″を試みるためには、両者ともに一緒に過ごす時間を増やしたり、選択を合わせるといった共有が必要となる。”X”を仕事のとあるプロジェクトと置き換えると、”X”に対して仲間で取り組むときに、お互いの座標が近い者同士(例えば”Bysn”と”Bysi”)の方が素早く明確化しやすい。斬新なアイデアを求めるなら距離の遠い者の方がいいが、具体化するためには時間がかかる。飽きることや日常の閉そく感はここにある。
共通点の模索
他者に対し、共感したり理解することができる共通点を見出す行為には、他者のウチに「私」という存在の欠片(鏡像)を見出しているからであり、学生時代や社会人の楽しかった・辛かった話であったり、母親にとって子育ての苦労話など快・不快問わず話が弾むのは等至性という過去の経験が一致しているためである。
等至性とは例えば、原則、大学教授になる過程として大学を卒業して大学院(修士博士)を卒業するという等至性がある。等至性に至る道のりは図2に挙げたとおり多様な軌跡を描きながら収束する点(大学と大学院、もしくは論文博士)があり、これを心理学研究に組み込んだものとして、複線径路等至性2と名付けられている。
他者のウチに「私」という存在を見出すためには、他者と自分との相違点の模索-つまり自分に対して、及び他者に対して情報収集(知覚)による具体化のプロセスを経た共通事項の選別行為-をすることによって、顕在化される。
20年ほど前の記憶で明瞭さに欠けるが孫氏の兵法の一節に、”彼を知り己を知れば百戦危うからず。彼を知らず己を知れば一勝一敗。彼を知らず己を知らざれば必ず危うい”と記されている。
一つ目の”彼を知り己を知れば百戦危うからず”という語は、私による私と、私による他者という、私による三人称視点のような俯瞰を以て危うからずと表されており、図3のようになる。他者(OTHERS)のAとBは見えにくくしているが、どれほどIとOTHERSにA,B,C,Dというふうに項目を見出し、それぞれの相違を認識できるかである。
二つ目の”彼を知らず己を知れば一勝一敗”の語では俯瞰で視ているがOTHERSが不可視状態である。私が相手を慮(おもんばか)って発言したことが他者にとっては異なる態度を示すこともある。この状態では俯瞰という概念を獲得して不可視状態である自覚がある推測に拠る場合と、俯瞰を獲得せず不可視状態のまま一か八かに賭ける憶測に拠る場合とがある。人間は複雑な生き物であるから俯瞰に100%という完全は存在しない3が、自分と他者、両者取り巻く世界など生きている時間軸が止まっているのであれば、チェスや将棋をするように精度は人によるだろう。
三つ目の”彼を知らず己を知らざれば必ず危うい”の語において俯瞰という概念は存在せず、一か八かそれ以前の話であり、他者を他者として認知していない。一つ目と三つ目は似ているところもあるが、知るという行為-つまり興味を抱くこと-を経験したかに由る。
加筆
2024/02/04
2024/02/07
2024/02/08
脚注
- 知覚の相対的減少は各人固有の知覚許容量内での多感覚処理に基づくとおもわれる。一定以上の温度では痛みであり、一定以下の温度では暖かく美味しいと感じること。 ↩︎
- 多くの女性にとっては結婚や子育てという通過点があり、研究対象(具体化したいこと)がそれに沿ったものであれば必須通過点と名付けまとめることで、量的研究のうちから収束するいくつかの選択肢を具体化する方法。 ↩︎
- 仮に100%が存在するのであれば俯瞰における神的視点と言い表すことができるが、ここでは言及しない。共感覚や催眠術、共時性あたりの研究でそれに類似した状況を作り出すことができると述べられていたとおもう。 ↩︎
参考になるもの
コーヒーの味わい要素について|知る・楽しむ | コーヒーはUCC上島珈琲
コーヒーの味はどう表す?バリスタ秘伝の「味わい判定表」がすごい | ワールド・バリスタ・チャンピオンが教える
世界一美味しいコーヒーの淹れ方 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)
横澤一彦監修 2023 『シリーズ統合的認知第4巻 感覚融合認知 多感覚統合による理解』勁草書房
横澤一彦監修 2023 『シリーズ統合的認知第5巻 美感 感と知の統合』勁草書房
サトウタツヤ他 複線径路・等至性モデル 人生経路の多様性を描く質的心理学の新しい方法論を目指して
武田, 美亜 他者からの理解に関する認知と現実のギャップに影響を及ぼす関係性要因の検討
孫子の兵法「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」なぜこれが最強フレーズなのか? – 軍師チャンネル COM (gunshi-channel.com)