人は運動をすると汗をかく。夏の登山や走り込み、肉体労働はとくにそうである。これは食事において脂っこいものを食べると表皮へ油が出るように、体内から体外へ余分なものが押し出される。不動や冬の頃合いであるとなおのことだろう。自らが求めないものを摂り込むと、心身が飛躍的に生長する思春期の若者にニキビができやすいようにウチからソトへ表出されるが、動きやすいものは気体→液体→粘体→固体の順であり固体であるほど火力が必要である。粘体とはお米を焚き蒸したお餅、煙管やパイプにおける煙草の燃焼しきらず残る乾留液、カレー、砂とセメントと水を混ぜたものなどである。
ところで人は肉体の外側に気を纏つている。たとえば手を天井や壁へ伸ばしてみると手の外側に微かに映る気があることがわかる。背景との遠近差であり、背景がごちゃごちゃしていないほどわかりやすい。次に、単純に片目と指一本で、紙に書いてある文字に顔を近づけ最短焦点距離を越えてぼやけさせ、指を水平に目元へ近づけて見てみると、気の内に文字が入ると歪みがわかり、そして肉体側へすれすれに寄るほど文字の明瞭度が変わる。焦点を合わせる対象と間の媒体(本稿では気体)と眼のはたらきである。指二本それぞれの気体を重ねゆくほど明瞭度が増し、三本の指で空間を圧縮するほど円形化してゆき望遠効果も得られる。
このように記しているときにふと思い出した。高校生か大学生あたりの頃合いに何かで読んだが、紹介されていた昔話では両足を広げてその間から後ろを見ると、通り過ぎてく靈が見えたらしく、間から見るのをやめてふつうに振り返ると見えなかったそうだ。