日常 (一)
燕の時期

 昔から毎春、私の住む家に燕が子育てに訪れる。去年の暮れから手先が凍てついて動かなくなるギリギリまで窓や障子は開けっ放しにしており、夕暮れの光量低下や鴉の鳴き声、朝を迎える鳥たちの声と日の出、新聞配達や早朝勤務に向かう人たちの車両の排気音、玄関や窓の開閉音がよく伝わりそれらで朝を体感する。

 この家は築50年ほどの周囲と似通った小さな三階建ての木造住宅で、朝日が入りやすくT字路のドン付きなので風通しもよい。裏手には境界の際までびっしり住宅が並んでいるが、約20年ほど前の小学生の頃までは未だ裏手の住宅は建っておらず西日も風もよく入る家だった。西側左手にはフェンスで区切られた空き地と右手には畑が広がっており、その向こう側の坂を下ると田んぼが広がっている。夕方になるとその道から私の父方祖父(当時65歳くらいだろうか)が畑仕事から帰ってくる姿が想い起される。西手に面する台所の縦に狭く横に広い窓から、西日の美しさとその姿を見ようとよじ登ったり椅子の上に立ったりして見ていたものだ。

 一階の車庫とシャッターの間幅約25cmの狭間に巣があるが、よくもまあ器用にこの狭さの中築き上げたものだ。燕の声を毎日聞いているので彼らの発する違和感には気付くようになってきた。いつも彼らは警戒の際に「トゥピ」を繰り返し発声し、警戒対象との距離や強さに応じて発声の間隔や声の鋭さを変化させる。たいてい彼らが警戒しているときは人や飼い犬、車や上空を飛行している鳥などだ。


 さきほど異様に警戒を発していた。普段の警戒時と異なり声の間隔が狭く力強い声を出し、家前を夫婦揃って弧を描くように旋回し続けている。ここまで異様なことは珍しく、燕の巣に何かあったのかと確認しに玄関を出て降りてゆくと車庫から大きな成体の立派な鴉が一羽出てきた。どうやら燕の巣の真下に近づかれたことから荒立たしく警戒の声を出しており、対処できないことから助けを求めていたのだろう。私が階段を降りてゆくと鴉は私に距離をとり、斜め向かいの家屋玄関前の石垣に着地して様子を窺っている。暫く私が様子見の構えを示すと、鴉は口をポカンと開けてこちらと上空を旋回する燕を注視している。二者間の争いに私が遠目に介入し続けていることから番いの燕は警戒を少し緩め始め、暫くすると鴉は諦めて飛んで行った。番いの燕も立ち去り、真上で番いと違う声の燕がいるなと見てみるとおそらく、大きさから察するに番いの子どもたちだろう。やがて彼らも飛び去って行った。

 3日ほど前の夢が想い起される。現実世界でいえば10時~14時といった太陽があまり傾いていない頃、自室にいると開け放たれている窓から燕が入ってきた。初めは珍しい客人もあったものだと少し心動かされたが、急いでいる様子から察するに何かから逃げている感じで、そのあと直ぐに鴉が入ってきた。各自の空間配置は三角形を模しており私と燕が近く、鴉が少し距離を保っている。燕は助けを求めに来たのだなと解ったので、燕を背にして両者の間へ割って入るようにゆっくり詰め寄る。不利を察し諦めた鴉は踵を返して出て行った。

 翌日、巣のあった地点の足元に巣の取り壊された跡が散らかっていた。次はどこへ行くのだろうか。

5/7


家庭ゴミ収集指定場所の問題

 午前7時半前、今日は燃えるゴミの日なのでゴミ回収地点へ持っていった。自治会の指定するゴミ集積場はゴミ回収業者が回収しやすいよう歩道の片隅にあり、ブルーシートとネットに重しとして大きな石をいくつか上に置いてその内側にゴミを入れる。これらは風雨や野生動物への対策だ。今日は珍しくごみの一袋が歩道に散乱しており鴉に荒らされたように見受ける。茶碗一杯分のゴミの散乱なら気に留めなかったかもしれないが、派手に散らかっているのでさすがに見て見ぬふりはできない。通勤通学の時間が差し迫っていること、私が通行人であればゴミの散乱を目にすることのない気持ちのよい一日の始まりでありたいこと、通行人による自治体への悪い心象やごみ回収業者の心労などを察するに、今ここにいる私がしなければならない責務が生まれる。

 責任の所在としてゴミ当番が定められ各家庭順番交代となっているが、お宅訪問し責務を果たせと申し付けることは共同社会として誤りであるし、責任問題以前に、他者に頼る前に第一発見者で対応してくれというのが筋だろう。ゴミ当番は非営利な共同社会における共助のうちの役割責任であって、その社会を形成するのは個々人であるから、個々人が見て見ぬふりをせず否応なく自ら対応していればゴミ当番といった誰もしたがらない役割は不要である。まあそもそも論、まるで意図したかのようなゴミの配置をした者に問題があるが、そこまで気を配るほど余裕なくあまりにも急いでいたのかもしれないし、世界がどす黒く見えるほど精神的に参っており自暴自棄的な振る舞いの一結果として発露したのかもしれないことから、考察するほどに責任追及は他者に還元すべきものではなく余裕ある私自らに帰すほうが公共のためになるので、他者に対して在るだけで満足しその先である良し悪しは考えず、すべて縁ある責任は自らに還元することによって自己琢磨となり、その行為によって共同社会の衰退に歯止めをかける一存在となることが可能となる。


 小学生にとっての一日一日、私が小学生だった頃を思い返してみると、大人と比べて生来の知覚や記憶の総量といった経験の総体が小さいことから未知に溢れるこの世界はすべて新鮮であり、一日は長く無限の可能性を秘めている。好奇心旺盛で様々なものを吸収し獲得することを望んでいるから幼少期の経験は大事だ。人生をコップに例えると、容器に水を入れ始めた時間的地点が子どもで、どんどん水を入れたいとおもう。老人は水を蓄えており流入残量が限られていることから取捨選択が可能で見て見ぬふりも選択肢のうちにある。子どものときは蓄えられた水が少ないことから、一つ一つの知覚体験は老人と真逆に影響が大きく知覚が敏感であるから、流入する水質が汚濁であるほど蓄えられた水に混合して心身は荒廃する。

 この衰退に対して「それは理想論で、誰しもが清く生きたいが現実は泥にまみれている」という地に足のついた意見には、その者の成長がみられず、その者の内的時間は進行方向のない今日・明日・昨日を同質とした円環である。紛れもない事実であるが上下の概念は存在せず、子どもや次世代を生きる者に同じ轍を踏ませることにつうじて、知っているのに行為しないことは持てる者の義務を放棄することになる。法的にも犯罪行為に対し、無知はもちろんだが知っていて行うことはより重罪となる。私が先陣切って道を拓くことにより後続者たちはまだ苦しまずに済む。

 「では悪の排除、不誠実な者に法的罰や全体性による制約を設けよう」とすると、他者に対して優劣を設けて選民思想となり消去法によって選別を繰り返してしまい、宗教戦争のように正義と悪の二分化となる。この者の内的時間は他と交叉しない一直線で成長がみられるが、一度規定したことを曲げないことから柔軟性に乏しく、法が服を着て歩いているようなもので、ジョージ・オーウェル『1984』のような監視社会につうずる。善悪の概念の獲得者でなければ誰しも自らを悪とできないことから、必然的にある他者を悪と定義することによって自らを善のうちに没することが可能となる。性善説は前者、性悪説は後者である。困難の渦中にある人に手を差し出せるのは、困難の中に同時にいるか過去に似た経験をした者のみである。

5/14